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カモーンщ(゜Д゜щ)新聞

「フリー」に挑む日経電子版の勇気ある社会実験(COLUMN1)
 日本経済新聞社が3月23日に有料のニュースサイト「日本経済新聞 電子版」を始める。マスメディアが無料モデル(広告モデル)のネット事業でなかなか収益を上げられないなか、最適なビジネスモデルを探求しようとする重要な実験的取り組みだが、実現には試行錯誤と長い道のりが必要となるだろう。
■広告モデルの限界
 私は、これまで無料で提供していたウェブサイトを有料の電子版に変えるという日経の決断を高く評価している。それは第一に、マスメディアがネット上で広告モデルを続けていても、絶対に儲からないことが明らかだからである。
 ネット広告は大きく分けて、検索連動広告、ディスプレー広告(バナー、動画など)、その他(携帯広告など)の3種類に分かれる。その中で、圧倒的に収益性が高いのは検索連動広告である。広告スペースを供給する企業の数は限定されているし、アクセス数も圧倒的に多いからである。
 これに対し、マスメディアのサイトはディスプレー広告が中心となるが、これでは大した収益を上げられない。日々凄まじい量の新たなウェブサイトが開設され、その分だけディスプレー広告のスペースも増えているからである。
 実際、ディスプレー広告の単価は世界中で下がり続けているし、例えばネット先進国の米国では、今後5年は下がり続けるだろうと予測されている。これでは、マスメディアがネット上で無料モデルから十分な収益を上げることなど不可能である。
 第二に、「ウェブ2.0」ブーム以来、ネット上では無料モデルが定着し、今や多くのユーザーにとってコンテンツは無料か低価格が当たり前となってしまった。違法コピー・違法ダウンロードの氾濫もあって、ネット上はリアルの世界顔負けのデフレ状態である。
 しかし、コンテンツやニュースの制作には当然ながらコストがかかる。せっかく苦労して作っても、リアルの世界で売り上げが激減し、ネット上でも違法にコピーされて収益を得られないなら、誰もそんな割の悪い仕事をやらなくなるであろう。
 その行く末は、文化とジャーナリズムという社会を支えるインフラの衰退であり、もうそれは現実のものとなりつつある。スペインの音楽産業を例に取れば、昨年のCD売り上げ上位50位までにスペインのアーティストが1人も入っていなかった。スペインの音楽文化の崩壊である。
 だからこそ、ネット上をリアルの世界と同様のまともな“市場”としなければならないのであり、価値あるコンテンツの有料化はその第一歩である。
 これら2つの点から、日経の電子版は米ニューズ・コーポレーションの米国などでの取り組みと同様に、非常に重要な社会実験と位置づけられるのである。
■お金を払うユーザーとは
 ただ、この実験を成功させるのは容易ではない。無料に慣れ、デフレ下で生き抜く術を身に付けたユーザーは本当にシビアだからだ。「NHKオンデマンド」の失敗からも明らかなように、他の方法で無料で見られるものにお金を払う人は少ない。既存の課金制サイトでも、1カ月だけ入会してコンテンツを漁り、終わったらすぐ退会するというユーザーが多いのである。
 今や、対価に見合った内容か利便性を提供できない限り、ユーザーが納得して料金を払い続けることはあり得ない。特にニュースは大変である。他のマスメディアが提供するコンテンツとの差別化が困難だからである。自社の紙の新聞と差別化し、かつ他メディアとも十分に違いのあるコンテンツを提供しなければ、ユーザーは納得しないだろう。
 いろいろなコンテンツの世界に接していてつくづく感じるのだが、どんなコンテンツでもユーザーは1対9に分かれる。前者はヘビーユーザーで、そのコンテンツが大好きあるいは不可欠だからいくらでもお金を払う。後者はライトユーザーで、そのコンテンツは好きだがお金を払う気はなく、無料で楽しめればそれでオーケーという層である。
 日経にとって、購読料金を払う10%はどういう層になるか。経済情報にもっとも強いメディアなので、ビジネスユーザーなのだろう。しかし、価格設定が高すぎれば、その層は5%とか3%に減るかもしれない。当然マーケティングは行なっているのであろうが、その結果どういう収支を想定しているのかは興味深いところである。
 昨年9月以降、日経が民主党と鳩山政権に頻繁に贈っている言葉がある。政策転換を求めて、「君子豹変を恐れてはいけない」と言っているが、今回の電子版に関してこの言葉を忘れないでほしい。日経の取り組みは、ネットをまともなメディアとするための勇気ある重要な試みであるが、世界中の誰もまだ正解が分からない世界への突撃である。もし思った通りにユーザー数や収益などが推移しない場合は、価格やコンテンツ、機能などをどんどん変更して、最適なビジネスモデルを見つけるまで頑張り続けてほしいと、心底願っている。

日本のためにならない「FREE」礼賛論を疑え!(COLUMN2)
 「週刊ダイヤモンド」3月13日号は、ベストセラー『FREE』を特集していました。しかし、私は『FREE』で述べられている考えが大嫌いです。そこで、『FREE』の何が問題かを説明したいと思います。
フリーランチはない
 最初に、この本が説明しているフリーモデルの4分類というのは、別に取り立てて新しいものでも何でもありません。いわば、ビジネスの工夫、ビジネスモデルの組み方の問題であり、当たり前のことをさも斬新であるかのように説明しているだけです。
 その意味では、“クラウド・コンピューティング”が、データセンターなどの既存のものを組み合わせただけで何も新しい技術要素はないのに、ネーミングだけで新しいソリューションであるかのように見せているのと同じです。ネーミングの勝利と言え、そうしたマーケティング戦略は評価せざるを得ません。
 それにしても、殊更“タダ”を強調し、それがビジネスになるような錯覚を世に与えるのはいかがなものでしょうか。経済学を少しでも勉強したことがある人なら、「フリーランチはない」と聞いたことがあるはずです。そうした当たり前の原則がデジタルやネットの力で変わることなど、あり得ないのです。
 まあその点はしょうがないにしても、この本には特に許容できない点が二つあります。
現実を覆い隠した広告ビジネス賛辞
 第一は、4分類の一つにネット上での広告モデルを入れていることです。そのモデルは、ウェブ2.0時代に喧伝された「無料でコンテンツを提供し、たくさんの人を集めて広告収入を得る」という無料モデルと同じです。
 しかし、米国では、ウェブ2.0のブームに乗せられて多くのメディア/コンテンツ企業がそのモデルを展開し、そのほぼすべてがまともな収益を得ることはできませんでした。無料モデルでまともな収益を得ることができたのは、たくさんのアクセスを集めて情報流通の独占を獲得できた一部のネット企業だけだったのです。
 それはネット広告の特性からも明らかです。ネット上の広告は大別して、検索連動広告、ディスプレイ広告(バナー広告、動画広告など)、その他(クラシファイドなど)の3種類に分かれます。この中で、ディスプレイ広告の平均単価は継続的に下落しています。個人がブログを開設してもそこには広告スペースができる、つまりネット上でディスプレイ広告のスペースは無限に供給されるので、需要と供給の関係を考えれば当然のことです。
 しかし、ネット上で無料モデルを展開しようと思ったら、検索サイト以外は基本的にこのディスプレイ広告に広告収入を依存せざるを得ません。それではまともな収益を得られるはずがないのです。
 つまり、ネット上での広告モデルは、ネット上の情報流通で市場シェアを獲得したごく一部の企業のためのものなのです。そうしたネット上の広告ビジネスの現実をちゃんと説明せず、ウェブ2.0の夢よ再びといった煽り方をするというのは、いかがなものでしょうか。
デジタルはコンテンツをタダにしていない
 もう一つ、それ以上に許容し難いことを『FREE』は改めて言っています。“デジタル化されたコンテンツは無料になる”(”content wants to be free”)という考えです。この認識は根本的に間違っており、こうした認識が前提にある限り、そこから派生するあらゆる考察は間違いであると言わざるを得ません。
 デジタルやネットが普及したことで、情報/コンテンツの伝送や貯蔵のコストは確かにかなり低下しました。しかし、当たり前のことですが、情報/コンテンツの制作には依然としてかなりのコストがかかります。価値ある情報/コンテンツほど、ネット上でも無料になることなどあり得ないのです。
 それでも、今はネット上には無料の情報/コンテンツがあふれています。しかし、デジタルやネットといった技術がそれらをタダにしたのではありません。違法コピー/ダウンロードや無料モデルといった、デジタルやネットを使う人の行為がタダにしているに過ぎないのです。
 そうした現実を無視して、デジタルやネットが魔法のように多くのものをタダにしたかのような誤解を世間に与えるのは、ネット上で情報/コンテンツの流通しかやらず、かつそれで自分だけが儲かればいいと思っているシリコンバレーのネット企業関係者の勘違いか意図的な主張としか思えません。
 情報/コンテンツのビジネスには“制作”と“伝達”という段階があり、ネットやネット企業が関わっているのは主に後者の“伝達”だけなのですが、『FREE』の論考もそこばかりに集中しているのです。一方で、これまでその両方の側面に関わってきたメディアやコンテンツ企業は“旧勢力”扱いされていますが、制作の部分は今でもそれらの企業が担っているのです。それなのに、“伝達”の部分が変わったから“制作”を担う者すべてが旧勢力というレッテル貼りを行なうのも、ひどい議論と思います。
米国での『FREE』評価
 それでも、ウェブ2.0時代に多くのメディアやコンテンツ企業が無料モデルを採用した結果、今やユーザはネット上のコンテンツはタダで当たり前と思うようになりました。
 『FREE』の主張はそうした風潮には合っています。
 しかし、そうした“タダ”が蔓延した負の影響として、世界中で文化とジャーナリズムという社会のインフラが衰退しつつあることにも留意していただきたいと思います。フリーランチは存在せず、文化とジャーナリズムの衰退というタダの対価が明確になりつつあるのです。
 米国の多くのメディアが、そして日本でも日本経済新聞社がネット上でのコンテンツの有料化(課金制度の導入)を始めようとしていますが、そうした動きは、“旧勢力”が生き延びようとしているだけはなく、文化とジャーナリズムを守ろうという社会的な使命感の反映でもあるのです。
 私は、先週ニューヨークで開催された“メディア・サミット”というコンファランスに出席していました。米国のメディアやネット関係の経営者や著名人が集まってメディアの将来を議論する場なのですが、そこのパネル・ディスカッションに参加したメディア関係者は、『FREE』の主張などまったく相手にしていませんでした。
 また、そこに参加していたある著名なネット/メディア評論家は、プライベートな会話の中で“『FREE』の主張はウェブ2.0の発想の単なる焼き直し、またネット・バブルを煽りたいだけだろう”とこき下ろしてました。
 私もそうした認識は正しいと思います。『FREE』に乗せられてフリーランチの対価を払う側にならないよう、注意すべきではないでしょうか。ウェブ2.0のブームに乗せられたマスメディアやコンテンツ企業の轍を踏んではいけないのです。

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